モーレツ!宇宙海賊

久々に最終回まで終始すばらしいアニメだった。最終回を2回見ても面白かったのはNHKアニメのこばと以来だろうか。
痛快かつダイナミックなシナリオ、よく出来た近未来技術の背景、加えてカットインまで曲としてつながっているBGMの選定にも脱帽だった。
攻殻機動隊カウボーイビバップのような黄金期の流れが再びくるとよいなあと思う。

対戦型ネットワークゲームを作っています。

価値観というのは変わっていて、子供のころにはみんな大差ないが、大人になればなるほど個人個人で偏ってくる。しかも一度固まってしまった価値観は、自分でそれを疑うことがほとんどないので、なかなか修正されることはない。
そういう人々が一つの会社なりで働いていると、ひょんなところで人の価値観に驚かされることがある。そのときにその人の考え方の根底に在るものを聞いておくことは、人生において大いに参考になる。逆に、自分の価値観や常識といったたぐいのものを相手にいくら押し付けようとしてもそれはうまくいかない。自分の考え方の芯をしっかりもつことは重要だが、別の価値観をもつ人に対する場合は、バランスが、重要なように思う。

川の流れは一見いつも同じでつまらないように見えるが、よくよく見るとその時々でまったく同じ流れになっていることは一瞬たりとも無いことがわかる。人生も、そういうものだと感じる。

毒無しでは生きられない

「ここには人工音がまったくなく、木々のざわめきだけが聞こえます。すばらしいでしょう」大学の研究室の老教授は、名峰白山の中腹でこんなことを言っていたと思う。
この時代、人工的なものが存在しない場所を見つけるのは至難の業だ。誰しもが自由に接続可能な携帯電話を身につけ、カーナビのついた自動車で移動し、家ではパソコンで情報を得る。日本という国では全ての人にとって、それが当たり前となっているといっても過言ではないだろう。
しかし何かに頼りすぎると見失うものもきっとある。メディアの偏りは感性を鈍らせ、文字情報だけのやり取りはコミュニケーションの幅を狭める。そして最も恐ろしいことは、全てが当たり前となってしまったとき、それらのものを見失っていることにすら自身が気付かないことだ。
腐海が人にとって毒なのではなく、人が毒無しでは生きられない体になってしまっていることに気付かないのと同様に。