毒無しでは生きられない

「ここには人工音がまったくなく、木々のざわめきだけが聞こえます。すばらしいでしょう」大学の研究室の老教授は、名峰白山の中腹でこんなことを言っていたと思う。
この時代、人工的なものが存在しない場所を見つけるのは至難の業だ。誰しもが自由に接続可能な携帯電話を身につけ、カーナビのついた自動車で移動し、家ではパソコンで情報を得る。日本という国では全ての人にとって、それが当たり前となっているといっても過言ではないだろう。
しかし何かに頼りすぎると見失うものもきっとある。メディアの偏りは感性を鈍らせ、文字情報だけのやり取りはコミュニケーションの幅を狭める。そして最も恐ろしいことは、全てが当たり前となってしまったとき、それらのものを見失っていることにすら自身が気付かないことだ。
腐海が人にとって毒なのではなく、人が毒無しでは生きられない体になってしまっていることに気付かないのと同様に。