ツクールの最大のメリット

オワコンという言葉がある。一時は人気があったが、今は流行でないコンテンツというような意味だ。

この言葉は極めてもったない。本来コンテンツとは、流行かそうでないかはさておき、自分で見聞き体感してその良し悪しを判断するものだ。それをオワコンだからといって触れる前から評価を下げるようでは、まともなものさしでコンテンツを計れない。
 
流行は日々刻々と変わっていくのだろう。ただ、ゲームをプレイする人間はここ数百年か数千年か、そんなに変わっていない。スーパーファミコンのマリオワールドをプレイしてみるといい。本当に面白いゲームは色褪せない。

ツクールの最大のメリットは、創作自体が何にも縛られていないことにある。誰もが目を伏せるような超大作も、時間さえあれば(途方もない時間かもしれないが)いつかは作りあげることが出来てしまう。売れる、売れないが第一ではなく、自分が本当に作りたいものを誰からの制約もなく作り出すことができる。

近年の家庭用ゲーム機では、フルHDだのフルオーケストラだの高性能化が進んだ。到底個人では作れない作業量に対して、ツクール自体がオワコンになったという話も耳にする。だが、画質やクオリティだけがゲームの本質ではない。本来ゲームは、アクションにせよRPGにせよ記号化されたものを人間が頭で補完している。よりリアリティを求めるのならば、映画ばかりが売れて小説は売れなくなるだろう。クオリティは尺度の一つではあるが、絶対に必要かといえばそうではない。その証拠に、より記号化に特化した携帯用ゲーム機用ソフトないしはソーシャルゲームというものも最近良く出ている。

ツクールは何からも制約されないので、オワコンは無い。あるとすれば、人から想像力が失われたとき、すなわち人類がほろぶときだろう。