目的と手段

プログラムは、きちんとしたコードを書けばかならず結果が返ってくる。書けば動く、書けば動く、それを繰り返していると、何かを表現するためにコーディングしているのか、コーディングするために何かを考えるのかよくわからなくなってくる。しかし創作をする人にとって、(テストプレイの)結果が返ってきて規模が増えていくのは嬉しい。

そうやって2週間ほどかけてプログラムをしたが、動作はそこそこなものの今ひとつ面白みのないものが出来上がった。このときすでに、あるゲーム性を表現しようとしていたことがプログラミングをするための材料にしかなっていないことに気付く。プログラムでも、仕事でも、料理でも、完成形で伝えたいものがまず先にあるべきだ。〜〜ツクールも完成品を表現するためのツールであり、ツールの機能にどっぷりはまるのは本来の姿ではないことをすっかり忘れていた。

これに気付いたので、作業自体は無駄ではなかったと感じる。