紋黄蝶

寮の部屋から浴場へ向かうときは階段を使う。エレベーターで待つのが面倒だからだ。

階段を降りていると、4階の踊り場の蛍光灯のそばをモンキチョウがヒラヒラと飛んでいる。
どこからか入り込んだのだろうか。近くに窓は無い。このまま力尽きるまで飛び続けるのか。
一瞥して風呂に向かう。

小さな虫は、光に向かう習性があるらしい。ただ、近くに強すぎる光があると、光が当たった側が麻痺してしまって、飛ぶ虫は片方の羽で旋回することになる。だから街灯の周りに虫が集まって見えるのは、実は人間の作った強すぎる光が羽虫を強制的にその場に留めて放さないのだ、という話を聞いたことがある。

一見、人間が悪いことをしたようなふうに聞こえるが、これも一つの自然現象かもしれないと思う。人間は神ではない。地震津波、隕石一つで多くの人の命が失われることもある。人が街灯を作って、結果それに羽虫が集まるようになった、それだけのことのようにも思う。街灯の近くに巣を張る蜘蛛もいる。賢い生き方だ。

モンキチョウを逃がしたらどうなるだろう、と風呂で考える。モンキチョウを逃がせば、どこかの花にとまり、その花粉を運ぶかもしれない。運ばれた花粉で、新しい土地にその花が咲くかもしれない。咲いた花はいつかは枯れて、土の養分となるだろう。その養分で育った作物を、人間が食料として食べるかもしれない。人がエネルギーを得るには、生き物を食べるしかない。そしてその作物を食べた誰かが、自分のような奇特な人間ならば、建物の中に再び迷い込んだ蝶を逃がそうとするかもしれない。

だが現実はそうならない。なぜならば、風呂の帰りは昇り。しんどいのでエレベーターを使うからだ。もうモンキチョウと会うこともない。

気が乗らなかったので、エレベーターには乗らなかった。たいした距離でもないので階段を使った。4階の踊り場の、蛍光灯のスイッチとなる紐に、疲れたのかモンキチョウはとまって羽を休めていた。

自分が近づくと、またモンキチョウは飛び始めた。蛍光灯が点いている限り、モンキチョウはこの付近から離れられない気がした。とりあえず、少しの間蛍光灯を消してあげれば、何か進展があるかもしれない。そう思って背伸びしてギリギリのところにある蛍光灯スイッチの紐に手をのばした。

紐が切れた。

長らくだれも引かなかったであろう紐だ。古くなっていてもおかしくない。蛍光灯は消えない。今、この場で蛍光灯を消す方法はなくなってしまった!!

階段を昇り、部屋に帰ってきた。紐は廊下に捨てておくわけにもいかないので持ってきた。確か、午前中に階段の蛍光灯が消される時間帯がある。そこでまだ生きていれば、うまく外に出ることができるかもしれない。そんなことより、この切れた紐について管理人にどう説明するかのほうが心配だった。

管理人に告げたところ「ひもは返さなくていい。お前の優しい心だけ受け取っておく」と言われた。