創作の意義

体調は大分よくなったが咳だけがしつこくおさまらない。何か別の病気を併発しているのだろうか。おかげで腹筋が筋肉痛であるよ。

咳が止まらないときは体力も失われてぐったりしているので、とりあえず横になることにしている。最近は歌つきの曲をつくろうと試行錯誤しているが、いまひとつはかどっていない。創作がはかどらないときは大抵何をやってもうまくいかない。さしあたり創作の意義について少し考える。

自分は、創作が仕事ではないし特別有名になろうとも思わない。ただ自分の思い描くものを形にしたいと思うだけだ。では、もう一歩踏み込んで、なぜ想像を形にしたいと思うのだろうか。自己顕示?これは有名になりたいということにつながるのではなかろうか。心理学で習った気もするが忘れた。

生存本能であるとしたら、納得がいく。しかし創作が生きていくために必要だったのだろうか、という疑問が残る。「道具」というものを作るうえで創造力はきっといるが、歌とか絵画とかそういうレベルになってくると”なければ死ぬ”とは考え難い。そんな高等な表現技法をもっている動物は今のところ人間だけだろうし。

ここまで考えてとても重要なことに気が付いた。手塚治虫先生は創作の原動力は「批判精神」であると言っていた。人間の創作物の矛先は、他の動物ではなくて人間なのだ。間違いを正す、とまではいかなくても、創作物には見る人聞く人に何かを気付かせる力がある。それがなければ、マスメディアや上っ面の表現だけが人々の思想を支配していって、本当に感じなければならないものを見過ごす世の中になってしまうのではないだろうか。

他の人が感じられないものを自分というフィルターを通して表現(顕在化)する。そこには普段見過ごしていたものが少し浮き彫りになってあらわれるだろう。それを見たほかの人々は多かれ少なかれ何かを感じて考えるだろう。道路標識のようなものだ。

自分の創作したものが正しいのか間違っているのか、というのは難しい。というかその価値観や考え方は人それぞれだと思うが、人々が流れに任せるようになって、外からのインプットに対して「ふーん、そうなんだ」としか捉えないような世の中になるのは、面白くないと思う。

人が人の思想に安易に飲み込まれないようにする、と言う意味で創作は生存本能の一種であると考えても言い過ぎではないのかもしれない。