これは弱音であるかも

 入社して半年が過ぎた。この会社の業務は大変忙しいが、周囲はとてもよい人ばかりだ。給料も十分過ぎるほどもらっている。余暇は少ないが、周囲の同期とも仲良くなり、週末は共に遊び、趣味を共有する。問題ない毎日を送っている。

 問題ない毎日を送っている。

 問題ない毎日を送っている。

 これからも問題ない毎日を送っていくだろう。給料は日々あがり、親に恩返しを出来る日も来るだろう。自分のやっている仕事は人の命を救う仕事。誇らしいことだ。教育担当の方も、毎日が残業で厳しい私のことを気遣ってくれる。課長もたまに声をかけてくれるし、忙しい中でもたまに笑顔がこぼれることもある。
 職場の人は皆、現状に大体満足しているようだ。良い会社だ。

 入社して半年が過ぎた。私はこのまま行けば、この優良な会社の色に染まるだろう。多少忙しくとも、大学院卒で、模範的な人生を送るだろう。これは多くの人の中で一握りの人だけがとりうる幸せな環境だろう。

 だが自分は本当にそれを望んでいるのだろうか。この会社の人は皆私を気遣ってくれる。しかし、自動車関係であり、しかも大企業である以上、ある程度の枠の中で動かなければならないことは暗黙の了解とされている。そして、たとえその中で誰が見てもおかしいことがあろうとも、大勢が構成する社会だから、手がつけられない部分があることをみんながわかっている。それは酒の席で愚痴として言う程度で、それをどうにかできないことは誰もがわかっている。集団生活でイレギュラーは厳禁だ。そこまでひどくもない、普通の人なら十分満足できるレベルだ。

 だが私が普通の人ではない場合どうなるのか。この会社は大企業であり、一人一人の会社員を歯車として動く大きな機械である。かつて、私をこの会社に誘ったリクルーターは、我々はこの大きな会社の小さな歯車であるが、自ら動くことでこの会社という機械全体を動かすことができる、と語った。それは可能だろう。しかし大多数の部分で、会社の部品は「定速」を保とうとする。それが安全であり、かつ、繋がっているほかの会社(もしくは客先)に変な影響を与えないからである。いかに社内の周囲の人々が人間的に優れていたとしても、いかに給料が高かったとしても、いかに誇らしい業務内容であったとしても、この定速の規制から抜け出すのは難しい。

 それで自分は満足するのか?本当に?

 これ以上のことを望むのは贅沢だと誰もが(親さえも)言うだろう。だが私の人生は冒険で、ロマンで……そういうことを言っている人は崩壊するのかもしれない。だがたとえ崩れそうだとしても、それを追いかけること自体が人生の大きな意味を占めるということをわかっているとしたら――


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