学生生活の終わりに

 最後の論文発表が終わり、作業に一区切りついたところで学生生活を振り返ってみようと思う。

 小学校に入学したのは平成元年。学校は坂の上にあり、毎日の集団登校。高学年が班長となって、一列になって歩いた。かなりの距離を歩いた。帰りはばらばらに下校した。下校途中に高学年に帽子を取られて遊ばれたことがあった。スタンドバイミーを思い出した。途中の家にガンダムという犬がいて、やたら仲が良かった。ガンダムにはまったく興味が無かった。もっぱらレゴばかりで遊んでいた。漫画は買ってもらえなかった。友達の家にあるスーパーファミコンが神々しく見えた。
 3年の3学期に家の都合で転校した。親友も出来始めた時期で、転校生というのは新しい小学校では少々ものめずらしい目で見られた。当事者としては、あまり気分の良いものではなかった。小学校では純粋であり、かつ単純であった。勉強はやれといわれたのでやったが、運動は特に出来なかったためよくいじめられた。小学生最大の思い出は、晴れた日の明朝に祖父と近くの山に登り、山頂から日の出を見たことだろうか。その日の出の美しさは全く覚えていない。だがそれはそれで思い出として良い。小学生最大の衝撃は転倒して永久歯が二本抜けたことだ。歯医者に持っていってはめたらくっついた。今もくっついている。人間の再生能力はなかなかだ。
 中学。中学はみんな多感で大人になった。だが私はまだ純粋で、かつ単純であった。流行にも疎く、勉強はやれといわれたのでやったが、運動は特に……結局小学生とあまり変わっていないということだ。ピアノが少し弾けたのが割と良かったが、ギターはからっきしだめだった。中学生最大の思い出は、橋の上から見たあの夕日だ。中学生最大の衝撃は、台風の日に川が増水して家の前の道路まで浸水し、学校が休みになったことだろうか。たいした事ではない。
 高校。高校は多感な時期であった。いろいろと感性が高くなり、心も体も成長する時期であった。だが、そのプロセスは既に周囲にとって中学で行われたものであり、なにやら周囲からワンテンポ遅れているような気がした。とにかく、すごい、面白いと思ったことはとことん追求した。ゲームをつくり、音楽をつくり、相対性理論を読んだ。私の高校には、その行動を奇異の目で見る人間は少なく、同調してそれに没頭する者が多かった。そういう高校だった。新校舎移転後の文化祭では1万人の人出で、大変な盛り上がりだった。その時は中国ゴマをクラスで披露し、技術的に一番練習してほとんどのことをマスターしていた自分の個人技は本番で失敗した。だが最後の最も難しいとされる全員の技の最終キャッチで無事に成功した。他にも色々思い出があるがこれが印象深かった。最大の衝撃は、マンションの5階が浸水したことだ。これは大変だった。
 大学。遠かった。高校でブラスバンドをやっていたが、大学ではサークルに入らず、そのエネルギーあまって変なグループに勧誘されそうになったがなんとか自分を取り戻した。ネットワークが普及し、ネット上での知り合いが多く出来てしまった。高校でやっていたゲーム作りなどは、大学ではむしろ奇異の目で見られることが多く、あまり公表はしなかった。研究室配属後はその限りではなかった。大学では専門的なことを学ぶというよりは、教授の好んでいる思想を聞くという感じだった。担当教官には大変多くのことを学んだが、最も面白かったのはかつての寮の歌がどんなものだったかという飲み会での語りだった。大学生活最大の思い出は、問答無用で白山の山頂だった。最大の衝撃は、友達もしくは自分の車で何度か死にかけたことだ。
 唯一の心残りは恋人ができなかったことだけだ。

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