異常者の叫び

 自分がどれだけ異常なのか考えたことがありますか?毎晩朝5時とかまでボイスチャットをしたりゲームをしたりしているのはどれだけ異常なのでしょうか。周りがそういう人ばかりなら、その人は異常じゃないでしょう。しかし私は周りがどうあれ自分の意志で行動してしまう。だからそうでない”普通の”人々の輪の中に入ると異常になってしまうのです。
 毎年しきたりで私の大学に入った高校の吹奏楽部OBが1月の同窓会のとりまとめをするらしい。昭和何年とかの分までお誘いのはがきを出し(500枚ほど)来るのは20人。葉書代だけでなんて無駄なことをしているんだ。しかも私は高校の吹奏楽部の何個も上の人と親しくなろうなんてこれっぽっちも思っていない。もともとあまりそういう会には参加しない人間だし、大学が忙しく、あと異常者なこともあっていろいろ狂った生活を送っている。多分周りの大学生の奴も結構狂った生活を送っている(もしくは社会人で普通に忙しい)。だから500人にはがきを出しても20人しか来ないのは当然といえば当然だと思う。
 「縦のつながりで会う機会が少ないんだ」「去年もやった」「しきたりだから」そういう理由で幹事をやれと言われたが、私は無駄なことはしたくない。何故参加する意欲も無い私が無駄な労力をつぎ込んで取りまとめをやらねばならないのか。私はもう一人の吹奏楽部OGに幹事の交代を希望したが「私あんまり同窓会とかやったことないし知らないから」という理由で断られた。私は私なりに、今年は同窓会やらなくていいんじゃないかと思い立ちその人に再びメールをしたが「しきたりだし勝手にやめていいのかな」という答えが返ってきた。
 私にどうしろという。みんな独り善がりで、面倒なことを他人に押し付けているだけではないのか。本当に真剣に考えてはがき500枚出すのが必要だと思うのか。集まりたいなら集まりたいもの同士で集まればいい。無駄なしきたりなんぞ叩き潰してしまえ!と私は思う。そのメールが返ってきたあと、ことは停滞しているが何もしなければ去年の幹事からお叱りを受けるだろう。
 私は異常者であっても構わない。しかし世の中の本質を自分で見極めようとしない人間に、ああしろこうしろと言われるのは非常に不愉快だ。自分で苦労を知り、辛さを知り、何か行動してやっと満足行くものが得られるのではないのか。他人に頼って適当に生きていこう、という考え方は甘い。それで失敗してただ泣いているだけの人は好きではない。私はそういう考えで生きてきた。そしてこれからも生きていく。
 でもこれも滑稽な話、私の独り善がりと言われればそれまでなのかもしれない。自分ひとりのことを考えすぎだと。しかし今の状況で、私にどうしろと言うのか。

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