人生とゲームについて考える

 2mくらい跳んだ。

 街灯がなかったため、駐車場の隅にある車止めにまったく気づかなかった。空腹で早く帰りたくて走っていたところを、文字通り足をすくわれてアスファルトに派手にダイビングした。ポケットの中身が飛散し、派手な音を立てて転倒したが、周りには誰もいなかった。とりあえず空腹だったので起き上がって帰宅した。手のひらがズタズタになっただけで済んだが、一瞬人生が終わったかとも思った。

 人間は、何かうちこむものがないと腐るようだ。先生もそういっていたし、確かに何もすることがなくなってだめになっていった人間も何人か知っている。うちこむものは、人それぞれ多種多様だが、仕事であったり、趣味であったり、恋愛であったりするだろう。仕事をほどほどにして趣味に没頭するもよし、仕事を生きがいにするもよし、陶芸家や冒険家のように人生そのものを何かにうちこむもよし。

 それが自分の場合は、ゲームであるとは思う。しかしながら、一人でふと考えたとき、なぜゲームをつくることに意義を見出し、人生の一部をかけるのだろうかと思うこともある。まあ、それは対象が何であっても「何故」を考えるのは、それをやりたかったから、という答えしかないのかもしれないが、自分は自己顕示欲が特に強いわけでもなく、ただただゲームをプレイし、作ることに何かを見出そうとしている気もする。

 知り合いに、なるべく平凡な暮らしをしたい、という人がいて、その人の考え方を聞いた時は驚いた。振り返ってみれば、自分の人生は興味を持ったことをとことん首をつっこみ、自分がやろうと思ったことはさいごまでとことんやってきた。まるで強い敵に挑むことで生きている宮本武蔵のような。自分は無意識にそうやって生きてきたので、そんな生き方もありますか、とお互い驚いたものだ。

 そういうことを派手にこけた時に考えた。今更生き方は変えられない。細々としたことを考えている時間があれば、早くゲームを作ろう。その前にオプーナをやろう。

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