二つの好みとする感性

どうも、いろいろな話を聞いていると人が好みとする(物語などに対する)感性が二つに分けられるのではないかと思えてくる。
一つは、現実派の人。この人々は、おそらく現実を必ずしも好きではない点を留意されたい。ドキュメンタリーや、恋愛、家族愛など人間味のある、美しい、もしくは素晴らしい”現実”を好む。多分、どちらかというと俗にいう2次元より3次元画を好む。
もう一方は、理想派の人。この人々は、現実が嫌いなわけではないことに留意されたい。ドキュメンタリーよりも、SFやメルヘン、空想物語を好む。多分、どちらかというと3次元画より二次元画を好む。

おそらく、現実がいろいろと気になってよりよい現実を求める人は前者になり、現実は楽観的に過ごすことができて現実にはないような空想の刺激を好む人は後者になる。私は後者である。どちらとも良し悪しはつけられない。
前者を物語の中で実現させるためには、より完成された現実を表現する必要がある。そこにあるものや、事実は変えようが無い。しかし、人の目から見たものは人それぞれ違い、また人にそれを伝えることで人はものを考える。そして現実を最も完成させる要因となる欠かせないものを描けばよく、それはすなわち”人間”である。
後者を実現させるためには非現実を描かねばならない。しかし非現実は現実と全く関係無いわけではなく、現実に無い理想があるからこそ意味がある。これはより現実の一部分を強調している場合でもある。すなわちここで描くべきものは”浪漫”である。


人間と浪漫、この二つを含めた物語は、多くの人に受け入れられるように思う。

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