いつの世でも、われわれにとって完全に安穏であるという状態はないといってよい。お互い人間である以上、程度の差こそあれ不安動揺なしにはいられないと思う。それが人間本来の姿である。しかしだからといって、ただ不安動揺し、それにおびえてなすところなくウロウロしているというのでは、そこから何も生まれてこない。
 そうではなく、不安は感じるが、しかしその不安に敢然と闘いを挑み、これを打破していく。むずかしい仕事、困難な要求に直面して、一面に不安を感じるが、反面かえって心が躍る。そしていろいろの考えを生みだしこれを克服していく。そういうふうでありたいと思う。

――松下幸之助

 大変共感する。やはり、やる前から思案して結局やらなかった、というのはかなり損をすることが多いように私は思う。ああ、あのときやっていなくて良かった、と思ったことは今までにほとんどないように感じる。挑んで失敗したなら、それもまた経験となるし、そうやって人は成長していくものだと思う。
 関連して、わからない事柄を放っておくのもあまりよろしくない。真理を調べることは、絶対に損にはならない。当たり前だと思っていることでも、案外わかっていないことも多い。これは自分も反省しなければならない点であると思う。

 昼寝をしたときに夢を見た。最近の夢は、焦りを思わせるものばかりだ。しかし刺激というのは必要で、何も締まりが無いよりは、何かを抱えているときのほうがいろいろなことにしっかりできると私はよく感じる。

 自分は取り得が無いと言っている人がいた。取り得というのは、自分で作り出すものではないのでしょうか。

 おっかんさんは帰ってこないのだろうか。
 DNAさんはお忙しいのだろうか。

2:44