人間を描くとき

 人間を描く時にはまず人間を見なければならない。その人間の中にはもちろん自分自身も含まれている。

 人間はとても不完全で常時変化する。変化が無い中では生きていけないながらも、自分自身は「外から干渉されまい」、「変化したくない」、「個人としての人格を保ちたい」と思っていることが多い。だから人と人とが接する時には(特に多くの人が一度に接する場では)自分の思い通りにならないようなことがたくさん出てくる。
 でもそこで一歩押し留まらなければならない。それが人と人との付き合いというものだから。それが社会のルールというものだから。
 私が音楽ゲームを好むのは、それ自体が不変で、私の内情がどれだけ不安定でも、それから与えられる課題は全く決まったものであるという側面があるからだ。そんなもの、コンピューターとかいろんなものが不変になってるじゃない、と言われるかもしれない。しかし上記のゲームが与えてくるものは非常に単純なもので(感覚で理解できて)、かつ毎回全く同じものになっている。例え友人と喧嘩した後でも、恋人を失った後でも、大きな仕事が終わった後でも。
 人の変化の摩擦で、自分が思い通りにいかないものにぶつかったりしたときに、このゲームを見ると不変なものの形が浮き彫りになって妙に落ち着いてくることがある。しかし人間は常に変化しなければならない。それは人間であることの宿命であって、この世界で生きていく上で常につきまとうものである。

 世界は不条理に出来ている。無駄に苦労して失敗する人。いつのまにか人々の集まりから離れてしまう人。とても大事なことを叫んでいるのに誰にも気付いてもらえない人。間違っていることは明白なのにそれに気付かない人。その間違いに気付いたけれどもその人には伝えない周りの人。馴合い。陰口。嫉妬。

 そんな中で誰にも侵食されない自分だけの世界をつくること、それが私のRPG作りであるといつか書いた気がする。しかし私という人間はそういった不条理の中で成長して形作られてきたものであるという。たとえ誰にも見てもらえなくても、とは言うけれども、世界に自分ひとりしかいなければ想像を形にすることはあまり意味を成さない。

 私が欲しいのは名声でも誉め言葉でもない。真正面で私に向き合ってくれる姿勢と、進まない作業意欲をかきたてるようなスーパーピンチだと。

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